回転木馬のデッドヒート、あるいはプールサイドを読んで考えた人生の折りかえし点

村上春樹の「回転木馬のデッドヒート」を読了した。
これはちょっと変わった短篇集。具体的にはこんな感じ。

しかしここに収められた文章は原則的に事実に即している。僕は多くの人々から様々な話を聞き、それを文章にした。もちろん僕は当人に迷惑が及ばないように細部をいろいろといじったから、まったくの事実とはいかないけれど、それでも話の大筋は事実である。

どれも印象的な短編が収められている。そのなかでも「プールサイド」という短編は、僕が歳を取るごとに意識していた、ちょっと特別なもの。

35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した。
いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。
<中略>
70年の半分の35年、それくらいでいいじゃないかと彼は思った。もしかりに70年を超えて生きることができたとしたら、それはそれでありがたく生きればいい。しかし公式には彼の人生は70年なのだ。70年をフルスピードで泳ぐ――そう決めてしまうのだ。そうすれば俺はこの人生をなんとかうまく乗り切っていけるに違いない。


そしてこれで半分が終わったのだ


と彼は思う。

多分もう15年くらい前だと思うけど、これを読んで以来、僕も35歳を人生の半分だと思って生きてきた。もうすぐ、30歳になるので、ここ最近はあと5年をどう過ごそうかと考えている。これまでの10年や15年を思い起こして、「恥の多い生涯を送って来ました。」とか、考えたりした。
というわけで、この数カ月はふりかえりが中心だった。レトロスペクティブ。とりあえず、やれることはやった気がする。たくさんの本を読んで、懐かしい人達に会って、考えたいことを考えた。できなかったこともたくさんあるけど。
明日からゆっくりと先のことを考えようと思う。