転職

キーワードは「大切にしているものは、何ですか?」

新装版 ほぼ日の就職論「はたらきたい。」

僕の答えは「変化に対応していきたい」というものだった。ありきたりな感じだけど、考えて、考えて、考え抜いて出てきた答えだった。
もう少し正直に書くと、取り残されていくのが怖かった。歳を重ねていくうちに、自分の技術が陳腐化し、いつの間にか通用しなくなってしまうのではないか、そんな風に思っていた。
恐怖を解消するには、留まるのではなく、変化に対応していくしかないと思った。


2012/07/31にいま勤めているSIerを退職して、2012/08/01から新しい職場で働く。ちょっと前から有給を消化させてもらってる。次はB2CのWebサービスRubyで開発する。JavaからRubyへ、SIerからWebへ、といった感じ。


転職については常々考えていた。IT系企業に勤めていれば、多かれ少なかれ、だれもが考えるんじゃないかと思う。
最初に配属された部署があまりにも合わず、社内でいろいろ相談させてもらって3年目に異動した。この異動は、転職と同じくらいインパクトのあることだった。幸いにも異動先はいい部署で、居心地がよく、そこそこ楽しく、技術力も意識も高い人も何人かいた。そして気がつくと社会人9年目になっていた。
辞めようと思ったのには、いろいろな理由がある。ちょっとだけ挙げてみると、こんな感じ。

  • SIに魅力を感じなくなった
  • 30歳を過ぎた
  • マネージメントするよう求められているが、まだまだコードを書きたい
  • etc. etc. ......

転職理由ってたいていは複合的なものらしい。1つの理由で辞める、というわけではないみたいで、僕もそうだった。転職活動自体については、できれば別のエントリでなにか書きたいと思ってる(けど、書くかわかんない)。

SIer、あるいはSIについて

これは僕が語るよりも、すでの多くの人が語ってるし、よい文章がある。 id:higayasuoさんと、id:gothedistanceさんのblogの、このあたりのエントリとか。

大企業に分類される会社に勤めていたけど、自分の会社が安定していると思えなくなった(安定している会社の定義は難しい。例えば公務員は安定していると言われるけど、本当にそうだろうか?とか考えだすと長くなりすぎるので、イメージとして)。
個人的感覚なので、他の人は異なる感じ方、考え方をするとと思う。年齢や職位や家族構成が違えば、考え方や判断基準も変わってくる。


SIやSIerがすぐに無くなることはないし、もっと言えば無くならないと思っている。でも、いまの音楽業界、出版業界みたいに、段々と規模は縮小していくのではないかと思う。パイは減り、競争は激しくなる。
会社は残るかもしれないけど、その会社に社員として残れるかはわかならない。残れたとしても、それが幸せかどうかわからない。
すべてのSIを否定するつもりはないけど、うまくいっていないSIは確かにある。いまの会社に対してというよりは、SI業界やSIerのこれからについては不安を感じた。このまま居続けるのはリスクが高すぎると判断して決断した。遅かったかもしれないけど、致命的ではなかったと思う。


勤めているあいだは、周りや環境を変えたいと思って、ちょっとは頑張ったつもりだったけど、うまくいかなかった。力不足だった。挫折した。

35歳までにやりたいこと、やるべきこと

このままだとプログラマ35歳定年説の35歳よりも早く定年を迎えてしまう、と思った。プログラマ早期定年制度は30歳なのか。
僕は人生のターニングポイント、折り返し地点を35歳と定めている。「回転木馬のデッドヒート」のプールサイドという短編を読んで以来、たぶん高校生のころから、そう決めていた。

35歳になった春、彼は自分が既に人生の折り返し点を曲がってしまったことを確認した。
いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。

回転木馬のデッド・ヒート

これについては何回か書いていて、例えば これ とか。
このままターニングポイントを迎えていいのか、あとで後悔しないか、ということを目一杯考えた。そうすると、やっぱりもうちょっとコードを書きたいと思った。できれば多くの人が使っているようなサービス、自分が使うようなサービスを開発したいと思った。


SIでも大規模なPJを担当したこともあって、僕の書いたコード、僕の構築したサーバを多くの人が利用していると思う。それでも、ほとんど実感がなかった。フィードバックを受けることや、継続的に改善していくことが難しかったり、様々な作業が分業化されていたり、理由はいろいろある。


仕事以外でコードや文章を書いたり、記事を書いたり、イベントで登壇したりすると、何かしらフィードバックがあって、それによってモチベーションが上がる。そういった感触を、仕事でも得たいと思った。

自分の得意分野、活躍したい分野

ここ1年くらい、もうちょっと前からかもしれないけど、会社にあまり貢献できていないと感じていた。自分の得意分野で勝負できない、うまく力を発揮できない、と思っていた。
具体的には、コードを書くよりもマネージメントしていることを求められていて、その割合は年々増えていった。マネージメントを全くやりたくないというわけではないけど、いまはまだコードを書いたり、技術的な部分で活躍したいと思っていた。
そうやって自分の得意な分野を活かして会社に貢献したいし、コードを書くことだけに満足するのではなく、よいサービスを作っていきたい。コードの先にいるユーザを意識していたい。

これから

正直なところ、いまもけっこう怖い。最初に書いた怖さとは違うけど、自分の技術は通用するのか、スピードについていけるのか、とか、とか、考えだすときりがない。
そういうときに、この一節を思い出す。

「でもそのときはそんなこと思いつかなかったんだ。僕の家は君のところと違ってとても平凡であたり前の家庭だったし、自分に何かの面で一流になれるかもしれないなんて考えもしなかったしさ」
「それは間違っているわよ」と娘は言った。「人間は誰でも何かひとつくらいは一流になれる素質があるの。それをうまく引き出すことができないだけの話。引き出し方のわからない人間が寄ってたかってそれをつぶしてしまうから、多くの人々は一流になれないのよ。そしてそのまま擦り減ってしまうの」

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

謝辞的なものや、いろいろ

最後に、同期として入社して途中違う部署だったりもしたけど、一緒に頑張ってきた1人の優秀なエンジニアについて。
僕らは技術が好きで、けっこう(かなり)頑固で、お酒飲むのが好きで、自分が間違っていると思っていることをやるのが嫌いだった。仕事以外でもコードを書き、勉強会やイベントに積極的に参加していた。彼は.NETやSQLServerを、僕はJavaLinuxを主に担当していた。彼はVisualStudioの本を書き、僕はいろいろな記事を書いた。
担当する領域が違うので、一緒に仕事することは少なかったけど、たくさんの刺激をもらった。


彼が頑張っていると、自分も頑張らなきゃなって思っていた。彼がいたからこそ、自分もここまで来れた。行き詰まったとき、理不尽だと思えることにぶち当たったとき、お互いに愚痴ったりもした。新しい技術やプロセスを適用したくてそれがうまく行かないとき、少ない言葉でも彼は理解してくれた。迷った時に、信頼できる技術をもったエンジニアが同意してくれると、とても力強い。助けられた。
言い尽くせないくらい、感謝している。これからも、お互い頑張っていけたらな、と思う。


同僚、上司、後輩など、自分の周りには、いい人か優秀な人かあるいはその両方という人が多かった。
異動した先のリーダーの技術に対する姿勢や取り組みは、エンジニアとしてとても参考になった。直属上司は半期毎にしっかりと面接を行なってくれて、いろいろなことを話し合えた。それ以上の時間を、飲み屋で楽しく過ごした。
書きながら、自分はいろいろ恵まれていたな、と思った。


長くなると思っていたけど、やっぱり長くなった。これでも短くしたつもりだけど。こんな文章を誰のために書いているのかというと、もちろん自分のためだけど。


ありがとうございました。いろいろと。
これからも、頑張ります。