キッチン

一年を待たずに再読。よしもとばななの「キッチン」を読了した。

ここ最近、2hopsくらいの人が亡くなることが多かった。それで否が応にも死生観について考えていた。やっぱり読んだ本による影響は大きく、その原点はたぶん「キッチン」だったので読み返していた。そしてそんなふうに「キッチン」を読んでいたら、また訃報が飛び込んで驚いた。


「キッチン」に収められている3つの短編は、基本的には身近な人の死からの再生、回復の物語だ。祖母が亡くなり、父親でも母親でもあった肉親が亡くなり、恋人が亡くなる。そんな状況から、どうやって立ち直っていくか、ということが描かれている。
他に影響を受けたのは「ダンス・ダンス・ダンス」や「ノルウェイの森」で、たくさんの人が亡くなった。
ノルウェイの森」から。キズキくんが自殺したあとの一節。

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

ダンス・ダンス・ダンス」から。ディック・ノースが交通事故で亡くなったあとの一節。

「後悔するくらいなら君ははじめからきちんと公平に彼に接しておくべきだったんだ。少なくとも公平になろうという努力くらいはするべきだったんだ。でも君はそうしなかった。だから君には後悔する資格はない。全然ない」
ユキは目を細めて僕の顔を見た。
[中略]
「僕の言っていることは、大抵の人間にはまず理解されないだろうと思う。普通の大方の人は僕とはまた違った考えかたをしていると思うから。でも僕は自分の考え方がいちばん正しいと思っている。具体的に噛み砕いて言うとこういうことになる。人というものはあっけなく死んでしまうものだ。人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に」

前後するけど、「ダンス・ダンス・ダンス」から。メイが亡くなったあとの一節。

「死んだ人間のことなら急いで考えることはないよ。大丈夫、ずっと死んでる。もう少し元気になってからゆっくりと考えればいい。僕の言うことわかるか? 死んでるんだ。非常に、完全に、死んでるんだ。解剖されて冷凍されてるんだ。君が責任を感じても、何を感じても生き返らないんだ」

最後にもう一度、「ノルウェイの森」から。直子が亡くなったあとの一節。

どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何か学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。

後悔しないように過ごしたい。難しいけど。
全然「キッチン」のこと書いてないけど、まあいいか、と。


キッチン (角川文庫)
キッチン (角川文庫)
posted with amazlet at 11.04.22
吉本 ばなな
角川書店
売り上げランキング: 5382