一九八四年

ジョージ・オーウェルの「一九八四年[新訳版]」を読了した。「1Q84」を読んでから、ずっと読んでみたいと思って買ってあったけど読んでいなかった。やっと読み終えた。
書かれたのは1948年で、60年以上前に書かれた作品。ちょっと調べてみると、日本だと太宰治の「人間失格」が1948年に出ていた。

一行でまとめると、主人公のスミスは大きな体制に対して反抗し、徹底的に叩き潰されてしまう、という物語。ま、あらすじとかは、wikipediaを読めばいいと思う。


「一九八四年」の感想、いまひとつまとまらない。こういう社会主義的世界を想像するための背景知識が足りないのだと思う。
1Q84」にはリトル・ピープルが出てきた。ビッグ・ブラザーとリトル・ピープルはどちらも同じくらい謎な存在だった。
「一九八四年」ではすべてが監視されてる。これは「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の「世界の終り」の壁みたいだ。そして壁はビッグ・ブラザー的でもある。そもそも「世界の終わり」の永久機関のように回り続けるシステムは、党の「少数独裁制集産主義」による恒久的存続に似ている。
「ハードボイルド・ワンダーランド」では「システム」と「ファクトリー」が対立している。でも「システム」と「ファクトリー」は、ひとりの人間の右手と左手ではないか、思いはじめる。「一九八四年」においても、「ビッグ・ブラザー」と「ゴールドスタイン」が対立しているが、これについても同様のことが言えるかもしれない。

あと、「一九八四年」で「二重思考」という言葉、概念がでてくる。なんだかとても印象に残った。


読みはじめるのに時間が掛かったけど、とても面白くて考えることもあって、読んでよかったと思った。なんだかこの一文が、いちばん感想っぽいというのが残念すぎる。
とりとめない、まとまりない文章になってしまったけど、仕方ない。