夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

村上春樹の「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」を読了した。長かった。
これまでのインタビューをまとめた1冊で、こんなにインタビューをまとめて読んだのははじめてだと思う。500ページ以上ある。

いろいろなことが語られているけど、特に興味深かったのは文体に関する内容だった。僕自身は、小説を読んでいても細かい文体の違いはよくわからない。だから文体に関する文章を読んでもわからないことが多い。でも文体に関する文章を読むのは面白い、楽しい。

スプートニクの恋人』は徹底的にネジを締める小説なんですね。あらゆる部分のネジを、ギリギリギリギリ締められるだけ締めていく。『ねじまき鳥クロニクル』の場合は、逆にネジを緩ませて、そこから何が出てくるかを見る。
<中略>
だけど『スプートニクの恋人』は、とにかく全部ネジを締め、余計なものはすべてはずして、自分が納得いくものだけを文体に詰めこんでみようと思ったんです。だから、最初の何十頁かは、もう文体締めにつぐ文体締め。「ぼく」と「すみれ」と「ミュウ」、とにかくこの三人だけ設定して、何がどんなふうになるかはわからないけれど、とにかく文章コンシャスでもっていく。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです P.43

締まっていたいたのか。こういう文章が、よくわからないけど、面白い。もう一度「スプートニクの恋人」を読み返してみたくなる。


海辺のカフカ」に関するインタビューでは、こんな内容があった。

いろんなかたちの物語を書いていくためには、どうしても文章はニュートラルになっていかなくちゃならないというところはあると思います。だからそういう風に変わっていくんだと思う。
<中略>
あれこれ言う前に、やっぱり小説というのは文体だと思うんです。僕は文体というのはフィジカルなものだと思うんです。自分の中のフィジカルな流れとか強さみたいなものが文体を規定している。頭で考えた文章というか文体というのはあんまり意味持たないと思うんです。少なくとも小説の場合にはね。僕は、どちらかといえば肉体的にものを創っていくタイプだから。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです P.132

ニュートラルだったのか。

僕自身のスタイルは『ノルウェイの森』よりは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の方に近いと思います。リアリスティックなスタイルで書かれた小説を、僕は個人的にあまり好まない。どちらかといえばシュールレアリスティックな文体の方が僕は好きです。しかし『ノルウェイの森』を書いたときには、とにかく百パーセント・リアリズムの手法で小説を書いてみようと試みました。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです P.198

これは他のところでも読んだことがある。


たくさん引用してしまったけど、こういう文章を読むのがすきなのだ。うまく理解できることもあるし、全然理解できないこともあるけど。なぜかわからないけど、文体論的文章に心ひかれる。
あと、インタビューという点では「ダンス・ダンス・ダンス」の文化的雪かきと、「回転木馬のデッド・ヒート」の「タクシーに乗った男」を思い出した。


夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです
村上 春樹
文藝春秋
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