村上春樹的Web2.0
上のエントリーを書いていて思った。
いろんな職業で、「コミュニケーション力」が重要視されているけど、村上春樹的コミュニケーション力を発揮したら楽しいことになっちゃうだろうなぁ。
例えばWeb2.0についてid:phaさんが公開している村上春樹風に語るスレジェネレーターを使ってみる。
完璧なWeb2.0などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
六月にデートした女の子とはまるで話があわなかった。
僕が南極について話している時、彼女はWeb2.0のことを考えていた。
Web2.0の目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。
エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
「Web2.0?」と僕は聞いた。
「知らなかったの?」
「いや、知らなかった」
「馬鹿みたい。見ればわかるじゃない」とユキは言った。
「彼にその趣味があるかは知らないけど、あれはとにかくWeb2.0よ。完璧に。二〇〇パーセント」
そして今日でもなお、日本人のWeb2.0に対する意識はおそろしく低い。
要するに、歴史的に見てWeb2.0が生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったんだ。
Web2.0は国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それがWeb2.0だ。
「それはそれ、これはこれ」である。
冷たいようだけど、地震は地震、野球は野球である。
ボートはボート、ファックはファック、Web2.0はWeb2.0である。
「どうせWeb2.0の話だろう」とためしに僕は言ってみた。
言うべきではなかったのだ。受話器が氷河のように冷たくなった。
「なぜ知ってるんだ?」と相棒が言った。
とにかく、そのようにしてWeb2.0をめぐる冒険が始まった。
Web2.0には優れた点が二つある。
まずセックス・シーンの無いこと、それから一人も人が死なないことだ。
「ずっと昔からWeb2.0はあったの?」
僕は肯いた。
「うん、昔からあった。子供の頃から。
僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。
でもそれがWeb2.0というきちんとした形になったのは、それほど前のことじゃない。
Web2.0は少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてきたんだ。
僕が年をとるにつれてね。何故だろう? 僕にもわからない。
たぶんそうする必要があったからだろうね」
泣いたのは本当に久し振りだった。
でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。
僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。僕は・Web2.0が・好きだ。
あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、
そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。
これすごくね?
Web2.0の抽象的な感じがとても合ってる。
いちばん最初の「完璧な・・・」は秀逸だと思う。
「ずっと昔からWeb2.0はあったの?・・・」では、このままWeb2.0を語れるのではないかと思ってしまう。
id:umedamochioさんの語るWebもよいけど、「村上春樹の語るWeb2.0」にはもっと興味がある。